第120話 隣人と猫

うちの隣に大学の先生をしていらした未婚の女性が住んでいたんです。その方は若くしてもう亡くなられたのですが、猫がすごく好きな方でした。自宅には野良猫がいっぱい住み着いていて、その子たちをすごく可愛がってお世話をしている様な人でした。

ある日、その方がうちの前の道路をゆっくり歩いて行かれたので挨拶がてら表に出ると、何かずっと、道路の向こう側を見ているんです。「どうなさったんですか」って伺ったら「猫が…」って言うんです。「猫ちゃんがどうしたんですか」ってまた伺ったら、「もう私、追いかけません」って言うのね。「あの子はもう最後ですから」って。お世話してくれた人から身を隠して息絶えていく覚悟を持って、その子が一人でとぼとぼ、本当にゆっくりなんですけど歩いていくのを、その方は見送っていたんですね。その潔い姿に、私は胸を打たれました。

―潔いとは、猫と人のどちらですか?

二人とも。似た者同士というか、二人に共通する美学の様なものを感じました。この辺りは畑や植林が多くある場所なので、その子は自然の中に帰っていくんだろうなと思いました。その方も胸に来るものがある様子でしたが、でも、もう追わないと決めたようでした。

―猫は死ぬ準備に行ったということですか?

そうです。その方は、猫が死に場所を探しに行くことを猫の尊厳を持って受け止めていたのだと思います。

(東京都・平成20年頃)

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