7月、猛暑日の炎天下の中、久しぶりの取材にドキドキしながら住宅街の中の絵画教室に急いで向かった。汗だくで扉を開けると、Fさんがさわやかに向かい入れてくれた。今日は来客者が多いからと、生徒さんが創作をしている大きなデスクの端っこを借りることになった。
始めにFさんからお話を伺い、その後、声をかけて下さったのがAさん。Aさんは、揉み紙に英語の文字を書き、そこに、絵の具を飛び散らせていた。
大した話ではないですが……と言うAさんに私はぜひ!とお願いして取材を受けて頂いた。
小学2年生の夏、生まれたばかりの黒色のウサギを引き取って「クロちゃん」と名付けた。始めは玄関で飼っていたが、夏休みおばあちゃんの家に一緒に連れて帰ることになった。電車を使ったため、暑くて弱ってしまったのか、数日後、自分たちが海に遊びに行っている間に亡くなってしまった。仕方なく、庭に埋めて石を置き、手を合わせていたが、なんだかすごくあっけなくてかわいそうだった。すると、何かしなくては申し訳なく思えてきて、それから毎晩、クロちゃんに手紙を書いた。2年生だったが、いつかこのことを忘れてしまうことは分かっていた。
Aさん/ せめて忘れないうちは手紙を書こうと思って、毎晩手紙を書いて。クロちゃん、かわいそうだったなって。ごめんねっていうことを、その時思って。それを手紙にしていた思い出があります。
私はもう少し詳しくお聞きするために、質問を投げかけた。
―それは何に書いていたのですか?
Aさん/ 1冊のノートに「クロちゃんノート」って名付けて。子どもだから、2~3日に1回くらい書き忘れちゃうのだけど、思い出すと「書かなきゃ」って、一生懸命やっていました。2~3行ですけど。
―どんなことを書いていたのですか? ごめんねとかですか?
Aさん/ そう。元気?とか。話しかけるんです。忘れてないよとか。
―天国のクロちゃんに話しかけるように?
Aさん/ そうそう。自己弁護なんです。昨日は書けなくてごめんねとか。そんなことをしていました。
―「生き死に」に対して敏感だなと思いました。
Aさん/ 書かないと気が済まない。寝る前のミッションにしていました。
―すごいですね。
Aさん/ 自分はそういうとこにこだわっていたんです。無意識に。
―こだわっているっていうのは?
Aさん/ やっぱり忘れると悪いなって思っちゃう。元々、自分の責任だと感じているから、せめて、忘れないよってやっているんだけど。でもいつか……忘れちゃうんですよ。
―それは、もしかして「弔い」みたいな感じですか?
Aさん/ あ、そうそう!そうです。自分なりの。クロちゃんの絵を描いて額に入れて。子どもながらに、絵を描いたり手紙を書いたりして喪に向き合って弔いをしていた。
ここで一回、話は終わったが、Aさんは、この話には続きがあることを思い出してくれた。
Aさん/ 家に帰ってきてからも、しばらく私、悲しんでいたんです。通っていた習い事にも行かずに。そしたら、近所のおばさんが心配して手紙をくれたの。
「クロちゃんのことで悲しんでいるけど、それは生き物を飼う時にもっと心を込めてやらなくてはいけないってことを、クロちゃんが教えてくれたんじゃないかな」
―それを読んでどういう風に感じましたか?
Aさん/ 私が悲しんでいることを真剣に受け止めてくれる大人の存在が心強かったです。手紙を下さって、今から思えば有難いけど、当時はびっくりしました。大人もそういう風に考えるんだなって。そういう風に考えれば心が落ち着くんだなって教えてもらいました。
―とても聡明な子ですね。
Aさん/ お勉強とは別に、そういう悲しみに対しては敏感だったのかもしれません。
小さいAさんは、この出来事を忘れることを恐れていたけど、あれから数十年経って、大きいAさんはクロちゃんを憶えていた。約束を守ったということだ。今日、この話を聴かせてくれたのも、Aさんにとってクロちゃんの弔いの続きだったのかもしれない。
(東京都・昭和60年頃)