小学生だった兄が買ってきたニホンイシガメのタロウは、約40年間、両親が経営していた八百屋の前に置かれた桶の中で、たまに脱走し、冬になるとワラをかけてもらって冬眠し、毎日、桶も砂利も洗ってもらって、大事に育てられてきました。母は、タロウをすごくよくほめるんです。顔だちもいい、色もいい。確かに、タロウの甲羅は、40年の年月分、黒々と渋く光っています。
去年、両親は、仕事を引退したのを機に、タロウを家の中で、放し飼いで、飼い始めました。タロウにとっては、初めての家の中での冬。家の中は、暖かくて明るい。40年間、外の桶で冬眠していたタロウは、戸惑っていたのかもしれません。1月の3週目ごろから、タロウの気配が、部屋から消えました。両親は、部屋中を探しました。でも、見つからない。心配でしかたがない。そこで、私が、捜索を依頼されたのです。
タロウは、オーブントースターの奥の、棚の下にいました。まるで石ころのように、埃まみれの状態で。私は、孫の手を使って、タロウをひっぱりだし、お水を張った桶の中に入れました。するとタロウは、いきおいよく、ぶくぶくぶくっと水を飲んで、それから、両手で、汚れた顔を洗いました。そうして身なりを整えると、タロウは、桶のはしに手をかけ、首を大きくのばし、うでの力で伸びあがり、桶からの脱走を、また、図ったのです。
タロウは、救助を待っていたのか、それとも冬眠していたのか、果たしてどちらだったのでしょうか。その後も、タロウは、何度も脱走を繰り返し、今はもう、野放しにしているそうです。
(平成31年・東京都)