クマに抱いている最大の関心ごとは「ばったり遭ってしまったら、どうしたらいいのか」ではないかと思うのです。もし出会ってしまったら最後、死を覚悟しなければならない存在って、なかなか無いですから。
《聞き手》片山龍峰さんは《アイヌ民族最後の熊打ち》姉崎等さんに、その疑問を正面からぶつけていきます。クマの生態について、クマやその他の獲物が住む山について、アイヌ民族とクマの関係、人間とクマの共生について、対話はループし続け、あれよあれよという間に私はクマと山の世界へと飲み込まれていきました。
クマに遭うというのは、どういう状況で起こるのか? 私は《たまたま出くわす》と考えていたのですが、そこにもちゃんとした理由があるらしい。姉崎さんは「本来、クマは人を怖れていて、人を襲うような動物ではない。クマは人を上手に避けて行動している」と述べています。それが、人間側のルール違反で(知らないがゆえに)近寄りすぎてしまうことがある。するとクマは、自分が襲われたと感じて、攻撃してくるのだと。
自分はなんて人間目線で一方的だったのか。クマ側が人間をどう見ているか(実はこちらをよく観察している!)考えたこともなかった。そりゃそうだ。里山の動物たちにしてみれば、そこいら中をうろうろしている人間たちとどう付き合うか、意識していない訳なかった!
じゃあ、人間とクマが共存していくにはどうすればいいのだろう。 著者は「なんか嫌だな」「ちょっと怖いな」と互いに感じ合うことが実は、共存のあり方を示しているのではないかと書いています。野生のクマは人間の友人とみなすべきではないと、動物行動学者・ヘレロ博士も述べているように、野生の動物の生態を知り、互いに近寄りすぎない関係を作ることが大切なのかもしれません。これは私にとって新しい視点で、目からうろこでした。
害があるという事で、駆除しすぎてしまえば、エゾオオカミのように絶滅が危ぶまれてしまうだろうし、可愛いからといって心が通じるような気持でいるのも人間の勝手な幻想なのでしょう。時として交わることがあったとしても、住み分けて暮らすのが、互いの為である。ルールは守る、距離感を保つ、礼儀を尽くす。怒らせたら怖いんだぞと思わせておく。
この本を読み終わると、なんだかクマが友人の様に思えてきます。友人にはなってはいけないんだけど、友人くらい相手のことを知ったような気がしてきます。姉崎さんは65年間の猟人人生で、多くの知見を残してくれました。研究者という立場ではありませんが、探求者そのものです。そして、それを書籍に残してくれた片山さん。畳みかけるようなしつこい質問は、かゆいところに手が届くようでした。お二人に、ありがとう!
追記
北海道知床は、世界有数のヒグマの生息地。そこでは、クマとの共生のため様々な取り組みがされているそうです。ネットでの情報を読むと、今回の本と共通することが多くあり、ヒグマや野生動物と共に生きるためには、正しい知識と具体的な対策、みんなの協力が大切なんだなと改めて認識しました。駆除するだけではないバランスのとれた対処法は、新しい希望を感じさせてくれます。みんなにもっと知って欲しい!
ヒグマに対する私たちの考え方と取り組み(ヒグマのこと)|知床財団|世界自然遺産「知床」にある公益財団法人 (shiretoko.or.jp)