父は、よく夜釣りに行った。そして、朝、帰ってくると、「さかなとってきたぞー!」「くってかんかー!」「かえってきたときはなかぞー!」と言って、その時は、冷蔵庫などないものだから、父は、魚の皮をはいで、骨をひゅっととって、刺身にしてくれた。私たちは、ランドセルをしょったまま、それを、食べる。小さなキラキラしたお魚だった。
私が子どものころ、餃子といえば、肉より魚だった。魚(イワシとか)のミンチと白菜を具にして、メリケン粉をのばしたものを、お椀で型取り、皮にする。「今日は、餃子ばーい!」と、声がかかり、子どもたちはテーブルに並ばされて、餃子を包む。火の当番は、父だ。大きなお釜にお湯を沸かして、水餃子にする。
父に釣りに連れて行ってもらったことはない。魚は、いつもみやげとしてあるだけだったが、子どもにとっては、楽しかったしおいしかった。父は、その後、母と島に移り住み、70才で小さな船を買い、あいかわらず、釣りに行っていた。
(昭和20年~30年代・佐賀県)