第81話 お馬様と甘い卵焼き
当時は、ペットとか、今のようなものではなくて、動物それぞれに役割がありました。猫は、ネズミをとる道具としての役割で、名前もなく、猫は「ネコ」と呼んでいました。
小学校低学年で耕運機が出てくるまで、家では、農耕馬を一頭、飼っていました。馬は「お馬様」で、人間よりえらく、とても大事にしていました。馬小屋は、玄関の中(土間)にありました。玄関前の土間には、サイロが置いてあり、夏の間に作った干し草を、細かく刻んで、冬の半年分を貯蔵していました。サイロの高さは数メートルほどあり、梯子を使って上り下りします。その土間は、夏はあけっぴろげですが、冬になると、板を挟み込み、閉め切ります。
家には、ニワトリもいました。ほぼ毎日、卵を産んで、その卵は、大体、卵焼きにして食べました。お砂糖が入った甘い卵焼きで、甘いのがごちそうの時代でした。ニワトリたちは、夏の間は、軒下の鶏小屋に入っていて、冬になると玄関前の土間の中の小屋で過ごします。卵を産まなくなったニワトリは、絞めて、お肉にします。自給自足が当たり前で、肉といえば、鶏肉が多く、まれに、分けてもらったうさぎや猪の肉を食べることもありました。
また、山の中でしたので、刺身も食べたことはなく、干したタラなど干物だけで、それもめったに出ることはなく、イナゴや蜂の子(プチュッと吸う)もたんぱく源として食べましたが、私はイヤで食べませんでした。
私の故郷の家は、大きな母屋で、真四角の作り、屋根(茅葺き)はがっちりとして、天井がとても高いのです。雪が積もると、屋根に上り、雪堀りをします。雪掘りとは、雪下ろしのことで、それほど豪雪ということです。
(昭和30年代・長野県)
第80話 ヘビを食べる
ヘビを食べるんですよ。そのヘビはマムシでなきゃダメで、捕まえてきたそれを、父が、骨と内臓とお肉に分けるのです。骨は、ぷつんぷつんと切って、囲炉裏に置かれた「わたし」に並べてカリカリに焼きます。内臓は串に巻き、お肉は串に刺して、これも囲炉裏で焼きます。これがおいしくて、早く焼けないかなあと待ちわびて、我先に、取り合いっこしました。内臓は苦いので、私はお肉が好きでした。味は、鶏肉みたいなかんじかな。
ヘビの頭付きの剥いた皮は、干して、お酒が入った一升瓶に漬けて置きます。こうしてできた液体は、熱さましや傷によく効きました。すごく強い臭いがするので、私は使いませんでしたが、父や母の世代までは、よく使っていたようです。数年前の、3.12の大地震で、家が大変なことになり、片付けに通いましたが、その際、年代物のヘビの一升瓶がたくさん見つかりました。
今では、私の故郷でも、ヘビを食べることはないようです。
(昭和30年代・長野県)