お知らせ

この度は、ブログに参加してくださった皆さま、読者の皆さまのおかげで、100話目を迎えることが出来ました。深く感謝いたします。本当に、ありがとうございます。

お話しの方は、準備のため、しばらくお休みいたします。シリーズ写真は、引き続き、掲載いたします。

今後とも、よろしくお願い致します。

「採話・どうぶつと人」プロジェクト

宇賀神(人頭蛇身の神様)
いいことがありますように!

第100話 半分はわたしに、半分はあなたに

 その養蜂家さんといると、ミツバチが怖くないのです。

 取材したその日は小雨で、養蜂家さんは、素手で巣箱の点検をしているところでした。周りには、ミツバチが飛び回っており、巣箱の中に、ぎっしりミツバチがいるのが見えました。私はすっかり信用しきって、刺すかもしれないなんて思いもせずに、少しばかりのミツバチを、そっと手ですくわせてもらいました。ミツバチ達は、ほんのり温かく、小さな足の感触は、なんとも不思議な命のしるしの様に感じました。

 私は、動物と共に働くということがどの様なものか、上手く想像できません。自宅で猫を飼っていますが、それとはもちろん違うものです。ですから、そのことを聞いてみたのです。種が異なる人間と虫が協働するとは、どのようなことなのか。そこには、昔から未来へと続く、どうぶつと人の在り方があるのではないか、と思ったのです。

 答えは、とてもシンプルなものでした。でもとても大切なことだと思いました。「尊敬と感謝の気持ちが入り交じり、かわいくて愛おしい。」養蜂家さんは、ミツバチを、そーっと優しく、静かに、扱います。「常に、ハチに対しては片思い。ハチは、人間の方を見ていない。ハチは、自然を見ているから。」 

「蜂蜜は、ハチが一生をかけて集めてくるものだから、報いるように、ちゃんと製品化して、満足できるものとしてお客さんに提供することが、責任だと思っている。そして、お客さんにおいしいと喜んでもらって、また買って頂く。その循環を作っていきたい。」

 自然養蜂家のドキュメンタリー映画「ハニーランド」の中で、「半分はわたしに、半分はあなたに」と言う言葉がでてきます。養蜂を持続するには、ハチの負担が少ないように、蜂蜜をすべて採ることはしてはいけない。必ず、半分は彼らのために残すこと。

 命を扱い、命の恵みを頂く。人も生きるために。そのために、「バランス」を持って考えること。養蜂家さんに教えてもらった、どうぶつと人のこれからです。

(令和2年・東京都) 

 取材協力:深大寺養蜂園 → 深大寺養蜂園 さんのTwitter

第100話プラス 「犬を逃がした話」 ―養蜂家さん編―

  小学校の帰り道に、鎖でつながれた柴犬がいて、毎日じーっと見つめ合っていたんです。「外に出たい」って言ってるみたいで、ある日、その家に侵入して、首輪を外してあげたんです。そしたら、車道に飛び出して…!こっちを見て「ハッハッ」って、楽しそうにしている!その時、私は、まずいと思いました。「ひとんちの犬を逃がしちゃったよ!」離れていく犬を、どうにかこうにか捕まえて、元に戻したけれど、イメージと違う、と思いました。イメージでは、足元にスリスリして、「私のことじっと見てくれていたよね。私のこと、逃がしてくれてありがとう。」って、私について来てくれるかと思ってた。今思えば、私の願望ですよね。私が、外に出したかっただけじゃないかっていう…。今振り返ると、大変なことですよね。

第99話 クジラがあがった日

 私の小学校は、築100年ほどの古い校舎で、港から300mくらい離れた場所にありました。クラスは、1年7組までありましたから、児童数は、比較的多かったように思います。

 その日、みんなで、校庭で遊んでいた時でした。急に、嗅いだことの無い様な何とも言えない生臭い、獣臭い匂いが立ち込めてきました。遊んでいた子供らは、「クサい!クサい!」の大騒ぎです。すると、上級生の男の子が、「クジラだ、クジラがあがったんだ!」と言い出しました。当時、小学1年生だった私は、クジラというものが分からなかったのですが、子どもながらに、すごいことが起こっているんだ、という認識はあったと思います。「とんでもないものが、見られるだ、」と思いました。高揚した子供たちは、ワイヤワイヤの大騒ぎです。私も上級生の後にくっついて、校庭の入り口まで向かいましたが、先生に呼び戻されて、ついに見ることができませんでした。

 それから数日たって、家の食卓に真っ黒な肉があがりました。私は、あの匂いのものが、これなんだな、と、思いました。クジラ(の肉)と匂いが、ここでつながったのです。クジラの肉は、鉄分が多いのか、うそみたいに真っ黒で、黒いスジは歯につまりましたが、一生懸命に食べました。ショウガ等で下味をつけて揚げた、竜田揚げの様なものでした。

 どうやら、うちの町では、昭和62年まで捕鯨が盛んな町だったようです。それでも、クジラの肉は、頻繁に食べられるようなものではなかったと記憶しています。あの日、クジラがあがった日、町にとって喜ばしいことのように、子どもながらに感じていました。母の使い終わった化粧瓶には、クジラの油が詰めてあって、やけどのヒリヒリによく効きました。

(昭和50年代・岩手県沿岸部) 

第98話 虫は虫の世界で

 虫、嫌いですね。虫は、虫の世界で生きていて欲しいです。…いること自体はいいですけど、近くには寄って欲しくないです。

 昔は、ダンゴムシとか、手に乗せたりして、遊ぶこともありました。…でも、4歳のとき、アリに噛まれたんです。実は、記憶があやふやで、噛まれたんじゃなくて、手のひらを歩いていたアリが、ひっかかっただけかもしれません。ちょっと痛くてやだな、と。それで、急に虫に対して興味が薄れたというか、もう虫と触れ合わなくてもいいかな、と思ったんです。

 部屋で虫が出た時は、親を呼んで退治してもらっています。親からは、一人暮らしできないね、と言われています。確かに、蚊をつぶすこともできませんが、虫スプレーすればいいかな。虫を好きな人を否定はしません。逆に、家に来てほしい。家に来て、虫を退治して欲しいです。

 (平成16年・神奈川県)

※この記事の話を聴かせて下さった方へ。もし、内容の不備などありましたら、ご連絡ください。 

第97話 俺の家族

クルちゃんとショコちゃんは、ペットショップで、16~17年前に買った。その時、猫を飼うために家を買った頃で、知り合いがペルシャ猫を飼っているのを見て、飼うならペルシャ猫がいいなと思っていた。

 横田基地近くのペットショップに飛び込んでみたものの、ペルシャ猫は置いていなくて、そしたら店長が、知り合いのペットショップに電話をしてくれて、川口(埼玉県)にいるから見に行くかと言われ、店長の車で、高速に乗って、そこまで行った。

 そこにいたのは、男の子と女の子の兄弟で、前から決めてた通り、女の子の方をもらうことにした。すでに子猫ではなく、売れ時は過ぎていたらしい。

 横田基地のペットショップに戻ってくると、自分のことをじーっと見てる子がいて、目が合ってしまった。アビシニアンの血統書付きの子だった。店長が、2匹飼うなら同じ日に家に入れたほうがいい、と言うので、そのまま、2匹連れて帰ることに決めた。

 ペルシャの方は、クルクル鳴くので「クルちゃん」、アビシニアンの方は、チョコレート色をしていたので「ショコちゃん」と名付けた。ショコちゃんは、腎不全で3~4才で亡くなってしまった。

 クルちゃんは、思っていたイメージとは違う性格だった。抱かれるのは嫌い、触られるのも嫌い。近くにはいるけど、ちょっと触ると、キャッと逃げる。本当に、いるだけの子。でも、それでいい。結果的には、自分の性格と合っていたと思う。ベタベタするのが嫌いだから。

 部屋中、毛だらけにはなるけど、いい子だよ。俺の唯一の家族。亡くなると思うと怖いよ。

(東京都・平成15年頃~)