第104話 ハチが嫌いな理由

 ハチが嫌いな理由は、何も考えずに刺してきそうだからである。ハチには人間の理論が通じない。恐怖の根本は、それである。それに加えて、ハチは刺し逃げする。やられたからにはやり返してやりたいが、すでにハチは飛び去っている。例えば、ヘビなら違う。ヘビは噛んでも、その場から消えたりしない。

 スズメバチに、三回ほど、とまられたことがある。幸いにも、一度も刺されたことはない。その三回とも、太ももの脇だった。

 一度目は小学二年生の時、運動会のダンスの練習をしていて。「ハチがとまってます!」と先生に伝えたら、「動くなよ!」と言われて、太ももから飛び上がったハチを、シュッシュッとパンチして叩き落としてくれた。

 二度目と三度目はどちらだったか曖昧だが、小学校の中学年、滋賀県の親戚の家に遊びに行った時だった。川釣りをしていると、太ももにハチがとまったのだ。しばらくじっとしていたが、ハチのおしりが動いているように見えて、刺される!と思った僕は、釣り竿を投げ捨てると、とっさに、川にダイブした。なぜこの時、僕が飛び込んだかというと、テレビアニメのみなしごハッチをよく見ていたので、ハッチが川に落ちて「羽が濡れて飛べないよう…」というシーンを思い出したからだ。川は、小学生の腰ほどもないくらいの深さで、驚いた従妹のお兄さんが駆け寄ってきた。

 どうやら、ハチは、夏から秋にかけてがやばいらしい。この時期は、トンボもよく発生するが、トンボの影でもハチと錯覚してダッシュで逃げるくらい未だにハチには怯えている。案外刺されてしまえば、恐怖が解けるかもしれないのだが。

(昭和60年代・神奈川県/滋賀県)

第103話 ゴリラって

 今でこそ、人間とゴリラの違いは明白に思われているけど、昔は、そんなに人間とゴリラの違いはあったんだろうか、と考える。例えば、人がまだ未開の地で、集落に分かれて暮らしていた頃、草原でゴリラに遭遇したら、同じ人間の違う部族のように感じたのではないだろうか。今で言うところの、とても毛深い外国人みたいな感じで。ようするに、人間とゴリラは似ている。あの大人しい感じ、人間味を感じさせる。これがチンパンジーだと違う。彼らは騒がしすぎる。

 だから、ゴリラが、動物園で檻に入れられているのを見ると、まるで、人間が檻に入れられているような感覚になる。変な、切ない、複雑な気持ち。そして、動物園の存在意義を考える。動物園は、人が、動物界の頂点にいることを、誇示するための施設なのではないか?「人間が動物を支配している感」が出てるのだ。檻とは、悪いことをすると入れられるものだ。でも彼らは、罪を犯したわけではない。人間の都合で、入れられている。(本来の経緯はわからないけど)。それで、僕は、自分は人なのだと、初心に帰る。

 僕は、ゴリラが好きだ。でかいってすごいと思う。それに、知性を感じる。動物園に行ったら、絶対にゴリラを見に行く。ただゴリラってだけで、不思議な気分になる。

(令和2年・神奈川県)

第102話 蟹とバーベキュー

 小学生の夏休み、父親の社員旅行にくっついて行きました。海の近くの民宿に泊まり、その庭で、バーベキューをしながら、大人たちは昼間からお酒を飲み、子供らは近くの海で遊んでいました。

 僕は、海の防波堤の壁で、ちいちゃな蟹を一匹を捕まえました。そして、それをバケツに入れて、父親に見せに行きました。

 すると、父親の隣にいた酔っぱらって真っ赤になったおじさんが、「蟹、獲ったのか。ちょっと貸してみろ。」と言って、蟹をつまみ、目の前のバーベキューの網にのせました。おじさんは、蟹を裏返し、醤油を1~2滴たらし、焼きあがると、箸でつまみ、「食べてみろ。」と差し出してきました。僕は、驚きましたが、受け取って食べました。蟹が小さかったためか、味はしませんでした。

(昭和50年代・場所不明)

第101話 カマキリと晩酌

 まだクーラーが無かった夏の日の夜、すだれにくっついているカマキリを見つけました(家の隣が原っぱでした)。とても大きな、形のしっかりとした、もう大人のカマキリでした。

 晩酌をしていた父は、片方の手でカマキリをつまむと、爪楊枝で、日本酒を浸し、カマキリにお酒を、飲ませました。3~4回ほど飲ませていると、カマキリの体の動きがだんだんゆっくりになり、左右に揺れ出して、ついには、爪楊枝にカマをかけ、まるで「もっとくれ」と言っているように、爪楊枝を抱えて放さなくなりました。

 カマキリは気持ちよさそうで、「へー、昆虫もこうなるんだ。」と思いました。その後もしばらく、テーブルの上に置いて、父はカマキリと一緒に飲んでいました。この一件は、小学校の夏休みの日記に書きました。

(昭和47・48年頃・東京都)