第12話 動物のいる風景

細い道から少し降りたところに、僕の家はありました。屋敷内には、母屋と納屋と、手前に蔵が建っており、自給のための小さな畑もありました。

庭では、にわとりが、母がほうった米や麦を、つついてはウロウロと歩き回っています。おこぼれを与りに、すずめも、飛んできました。庭は、鳥の糞だらけです。放し飼いの犬は、軒下のハコの中で、寝ころんでいます。逃げ帰ってきた猫は、仏壇の裏に隠れて、出てきません。僕は、ペットとして飼っていたうさぎに、草をあげています。

日が暮れてくると、にわとりは、竹の棒でできた囲いの中に戻されます。仕事を終えた農耕馬も、納屋の中に戻ってきます。

夜、寝静まったころ、納屋から、ドスンと音が聞こえてきます。狭い納屋で、馬が寝返りをうったので、体が壁にぶつかった音です。猫が、布団にもぐりこんできました。

(昭和20年代・石川県)

第11話 春が来る少し前 

僕の家は、石川県の米農家でした。春が来る少し前になると、農耕馬を借りてきます。どんぐりとした農耕馬は、よく働き、田んぼを耕したり、荷物を運んだりと、重要な役割を果たしていました。

毎年、違う馬がやってきますので、慣らすまでが大変でしたが、子どもの自分も、馬に乗って、綱を操り、荷物を運ぶのを手伝っていました。

農耕馬が家にいるのは、秋までで、冬になるころには、また厩舎に、戻ってゆきます。

(昭和20年代・石川県)

第10話 猫が庭にいついた顛末

ある日を境に、友人の庭先に、猫が現れるようになった。

張り紙の迷い猫にそっくりだったので、連絡をしてみたところ、やはりその通りであった。早速、飼い主が駆けつけてきたが、どうやってもつかまらない。

猫の飼い主は、猫の保護施設のスタッフであった。新しい飼い主へ手渡そうとしたその時、猫はするりと逃げてしまったらしい。

どうしてもつかまらない猫について、スタッフはさんざん議論をした。そして、猫のいついたこの庭に、通ってくることになったのである。

スタッフの二人は、電車に乗って交互にやってくる。雪の日も、真夏日も、台風の日も、やってくる。えさを補充し、猫の様子を見、たまに友人と話したりする。友人の許可を得て、小さなえさ用の小屋も作った。

そうして、冬も越した。夏も越した。友人は、毎日でなくても、と、言っているのだが、二人は今日もせっせとやってくるのだ。

猫は、塀の上で、座っている。ぬしの様な顔をして。

(平成30年・埼玉県)

第9話 幸運を呼ぶ猫の絵

私は、今、その猫を、凝視している。その猫は、豊かな毛並みと、まんまるな金色の瞳を持ち、どこから見ても目が合うように描かれている。

この幸運を呼ぶ猫の絵は、兄が職場からもらってきて、もうだいぶ前から、実家の棚の上に置いてある。私が「なにか効果はあった?」と聞くと、「特にない。特に、何も起こらなかった。」と、親は答えた。変わりがないことはなによりだと、私は思った。

(平成30年・埼玉県)

第8話 ダックスフンドと記憶

ある日、母親が、私が子どもだった頃の写真を見せてくれました。そこには、3才の私とダックスフンド、後ろには外国製のドラム式洗濯機が、写っていました。

私の母親は、ハイカラな人で、新しもの好きでしたから、当時めずらしかったドラム式洗濯機があったのだろうと思います。ダックスフンドも、当時としてはめずらしかったと思います。でも、私には、このダックスフンドの記憶がありません。

母に聞くと「近所の知り合いの子どもが、10円玉を誤って飲み込んで亡くなってしまったの。それで(ダックスフンドの)メリーちゃんは、その家にもらわれていったのよ。」とのことでした。だから、メリーちゃんは、そのまま行ったきり、私の記憶には残らなかったのです。

(昭和40年代・東京都)

第7話 猫は家につく

住み慣れた三鷹の家を建て替えることになって、しばらくの間、私たち家族と飼い猫のべんちゃんは、西荻窪に仮住まいすることになりました。そんなある日、べんちゃんが、いなくなってしまったのです。心配した家族は、探し回りました。すると、なんとべんちゃんは、ひとりで、三鷹の家に、帰っていたのです。べんちゃんは、骨組みの建てかけのその家に、ちょこんと座っていたそうです。

その後、母は餌をやりに三鷹の家に通うことになったのですが、べんちゃんは、大工さんやご近所さんにとてもかわいがられ、まんまる太って、ついには、まるたんぼうの様になっていました。

べんちゃんはこの三鷹の家で20年以上を過ごし、息をひきとりました。

(平成・東京都)

第6話 かわいいべんちゃん

飼い猫のべんちゃんは、鼻の近くに、ほくろの様なぶちがありました。べんちゃんの母親は野良猫で、他の兄弟はすぐにもらわれていったのだけれど、不細工だったべんちゃんはひとり残っていて、私たちは、そのべんちゃんをかわいいと思ってひきとりました。

べんちゃんのべんは、大便の便です。大便をするとき、顔を赤くして力むのが、なんともかわいくて、弟が、その名をつけました。でも、そのあと、大便の便ちゃんではかわいそうだ、ということになって、勉強の勉ちゃんに変えることになりました。

(昭和後半・東京都)

第5話 よさたろうと風呂ぶた

Nちゃん家はクーラーがある様なお金持ちで、シーズー犬と灰色のでっかい猫を飼っていました。私たちはその猫を、よさたろう、と呼んでいました。Nちゃんは、「やめてー、そんな名まえじゃないよー」と、言ってましたが。

よさたろうは、私たちが遊びに行くと、サーっと、どこかへ逃げていきます。そして、そのまま姿を見せません。

ところが、夜、Nちゃん家のお風呂場を借りようとすると、よさたろうが、風呂ぶたの上に、いるのです!そこで、私は「よさたろう、どいてください。」と、お願いをします。でも、よさたろうは、こちらをじろりと見て、ぷいっと知らん顔します。仕方なく、私は、Nちゃんを大声で呼びます。しばらくすると、Nちゃんがやってきて、よさたろうは、ひょいと、連れていかれます。

今、思い返すと、風呂ぶたの上には、なんだかいつも、よさたろうがいたような気がします。

(昭和50年代・東京都)

第4話 飼い猫の形見

僕が中学生だったから、30年以上前のこと。先生が、突然、授業中に話し出した。

飼い猫が死んで、あまりに悲しく、あまりに離れがたかったから、愛猫の毛皮を、小さく切り抜いて、肌身離さず持ち歩いているのです。

見せてくれたそれは、灰色と白色の縞模様で、一片の布切れのように見えた。

(昭和50年代・神奈川県)

第3話 幸運の象徴

まだ新婚だった頃、アパートのベランダに、蜂が巣を作り始めた。蜂の巣は、その完成を見る前に、夫の手で、駆除されてしまった。

後になって、蜂の巣は、幸運や繁栄の象徴なのだと、同僚から教えてもらった。あのとき、私たちは、幸運を逃したのだろうか。すぐ近くまで、やってきていたのに。

(平成30年・東京都)