第42話 セミとり・ドンゴロ編・兄

日が暮れるまで遊んで、そろそろ帰ろうかって頃合いに、「そうだ、ドンゴロとって帰ろう。」と、誰かが言い出すことがあって、梨畑でドンゴロを5~6匹ほどつかまえると、それらを、Tシャツにひっかけて、落ちないように気をつけながら、家まで帰った。たまに、羽化し始めるものもいて、本来、羽化する時間ではないから、そうしたドンゴロは、殻から抜け出せずに、動けなくなってしまう。

家に帰ると、居間のソファーの後ろの、カーテンの下の方にひっかける。すると、ドンゴロは、木を登るようにカーテンをどんどん登って行って、夜8時ごろになると、みんな一斉に動かなくなる。ついに、羽化が始まるのだ。

背中が割れて、中から、真っ白なセミが、出てくる。セミは、背中を反らすように体を押し出して、殻を抜け出し、しっぽ(腹部)だけ中に残して、さかさづりになると、次に、腹筋をするように上半身を起こして、殻につかまり、残されていたしっぽを抜く。

抜け出たばかりのセミの羽はしわくちゃで、でも、次第にのびはじめ、緑がかっていた目は真っ黒になり、体は内側からジワーっと茶色になっていく。

そして、よく見るアブラゼミになる。そうなったら、つまんで、窓から外に放り投げる。セミは、バタバタとはばたいて、ジジーっと鳴きながら、暗闇の中に飛んでいく。

※ドンゴロとは、セミの幼虫のことです。

(昭和50年代・愛知県)

第41話 セミとり・ドンゴロ編・弟

セミの幼虫が土から出てきて、羽化するために木に登る。僕たちの地域では、この幼虫を、ドンゴロと呼んでいた。夕方、僕たちは集まって、ドンゴロをとりに、梨畑まで遠征する。これは、小学生にとって冒険だった。

勝手に畑に入るのは、まずいことだって、僕も仲間も、心の中では思ってる。でも、それは言ってはならないことだった。ドンゴロとりは、それを上まわる、楽しいことなのだから。

歩いていると、向こうから、ずぶぬれの友達が、やってくる。「どうしたんだ?」と聞くと、「用水路に落ちた。」と言う。このやりとりは、もう何度もくりかえされている。みんなよく、用水路に落ちる。

恐ろしいことが起きることもある。乳母車を押したばあさんが、遠くまで見渡せる、まっすぐなあぜ道を、こっちに向かって歩いてくる。やばい、と、誰かが言った。「見張りに来たんだ!チクられたんだ!」みんないっせいに、逃げ出した。「あいつはやべえ。」「気をつけようぜ。」いつのまにか、ばあさんは、消えていた。僕たちは、ビクビクしながら、ドンゴロをとって帰った。

つかまえたドンゴロは、家に持って帰って、カーテンにひっかける。でも、そのあとどうなったか、記憶にない。朝起きると、ドンゴロも羽化したセミも、部屋にはいなかった。兄貴が言うには、羽化するのを見届けた後、外に逃がしていたらしい。

(昭和50年代・愛知県)

第40話 セミとり・クモの巣編

ヒゴで小さい輪っかを作り、竹竿の先にくくりつける。これを、でっかいクモの巣につっこんで、ぐるぐる回し、綿あめみたいに、クモの糸を巻きつける。それを使って、木にとまっているセミを、ぺたりとくっつけて、とる。クモの糸は、柔らかいから、セミを傷めることなく、捕まえることができる。

クモの巣は、できたての午前中のものが良い。べたべたと粘り気がある。逆に、日があたった午後の巣は、乾燥していて、使い物にならない。だから、セミとりは、午前中が勝負だ。クモの巣は、いたるところにある。垣根とか、木と木の間とか、屋根から木にかけてとか、朝日に照らされて、水滴のついた糸が、光ってよく見える。僕ひとりか、近所の友達とふたりか、うまいことクモの巣を巻き付けたら、やぶの中へ、セミをとりに行く。

このしかけは、セミに逃げられてしまうことも多い。巻きつけたクモの糸が使えなくなったら、この日はもう終わりだ。先っぽの輪っかを取り換えて、次回また、使う。

(昭和20年代・石川県)

第39話 セミとり・とりもち編

近所の竹やぶからとってきた長い竹の葉っぱを落として、手作りの竹竿を作る。その竹竿の先っぽに、買ってきたとりもちを、べったりつける。それを、裏の山まで持っていって、高い木にとまっているセミを、ひょいとくっつけてとる。とりもちから、セミの翅を、うまいことはがして、大抵の場合、そのまま逃がす。セミを捕まえることが、あそびの目的だから、とったあと、何をするってわけでもないのだ。

(昭和20年代・東京都品川区)

第38話 ホンチ

春先になると、僕は楽しみになってくる。ホンチが出てくるからだ。ホンチは、全長1センチくらいのクモの一種だ。ハエトリグモが脱皮をすると、ホンチになる。体は真っ黒で、おしりが黄土色をしている。僕たちは、脱皮する前のホンチを、バラの木や竹やぶなどから見つけては、帽子の中に落して、捕まえる。(ホンチになっているものを捕まえることもある。)脱皮をしたホンチは、闘う習性を持っている。その習性を使って、ホンチ同士をケンカさせるあそびを、これも「ホンチ」という。

小さい箱に2匹のホンチを入れると、長い前脚を、鎌のように高く持ち上げて、互いに、にらみ合いけん制し、次の瞬間、ガバッと、組み合う。組み合ったまま、互いに押し合い、へし合い、そのうちに、長い前脚を、回し込み、おしりをこちょこちょと触る(攻撃している)のだが、それは見ていて、なんともおもしろいのだ。結局、負けた方が逃げて、勝負は決まる。

当時、駄菓子屋でホンチ用の小さな紙箱が売っていて、ふたの部分をガラスに変えて、中が見えるように改造していた。その箱の中に、ホンチを入れて、飼育する。僕は、小学生から中学生くらいまで、ホンチをしていたが、今はもう、見かけなくなったように思う。

(昭和30年代・神奈川県横浜市)

第37話 川遊び

田んぼの両側に、小さな川が流れていて、片方は、山からの湧き水で、もう片方は、ゴルフ場の、たぶん池から、流れてきていたのだと思う。どちらもきれいな川で、色んな生き物が住んでいたな。さかな、カエル、ヘビ、ザリガニ、ウナギ、蛍の幼虫もいたんだよ。

同い年くらいの近所の子たちと、その川へ、遊びに行って、川に入って、網ですくって、フナやドジョウを捕まえたり、それを、家に持って帰って、父が作ったちょっとした池に放すの。結局は、死んじゃうんだけど…。

そうだ、この川で、ウナギも釣ったなあ。夕方、釣り竿に糸をつけて、その糸の先にドジョウをくっつけて、一晩、置いとくの。それを、10か所くらい、仕掛けたかな。次の日、朝早く回収して回ると、一匹くらいかかってるんだ。それをナイフでね、自分でさばいて、焼いてもらって、食べたりしたんだよ。

(昭和30年代・神奈川県横浜市)

第35話 牛の角から

当時、近所では、農耕用の牛が飼われていて、田んぼや畑を耕したり、荷物を運んだりしていました。道を歩いていると、その農耕牛の糞がそこいらに落ちていて、そのまま、ほっとかれていましたが、そんなのは、慣れっこです。

ある時、黒毛の短毛の牛が、飼い主が間違えたのか、角が折れていて(切れていて)、そこから血をだらだら流しながら、歩いていくのを見ました。僕は、それを見て、「角から血がでるんだなあ。」と、思いました。

(昭和30年代・神奈川県横浜市)

第34話 クワガタのケンカ

その頃は、横浜にも、たくさんの田んぼや雑木林がありました。家も、集落ごとにポツポツある程度です。

小学生のころ、僕たちは、山へ、昆虫をとりに行っていました。当時、クワガタもカブトムシも、本当にたくさんいました。

僕は、カブトムシよりクワガタの方が好きで、なぜなら、友達同士で、クワガタをケンカさせるあそびをしていたからです。カブトムシをケンカさせるのは、なかなか難しいのですが、クワガタは、互いのツノを組ませると、そこでケンカが始まります。僕らは、なるべく大きくてかっこいいやつを捕まえてきて、持ち寄ります。小さいやつなんて、目もくれませんでした。クワガタの片方が、負傷したり、しょぼんとして(そう見えるのです)引き下がると、勝負が決まります。

(昭和30年代ごろ・神奈川県横浜市)

第33話 イナゴとり

私の故郷の家の周りには、たくさんの畑や田んぼがありました。夏も終わりに近づくと、学校で「3年生は、今日はイナゴとりです!」と発表されます。(その日によって、学年が変わります。)私は、母に作ってもらった手ぬぐいの袋に、イナゴを、ぼんぼこ入れていきます。袋の中は、ワサワサ、ワサワサいっていて、そりゃあ、イナゴがまだ生きてるんだから、当たり前です。「1組の田んぼは、ここ。」「2組の田んぼは、ここ。」と、クラスごとに分かれて、朝から夕方まで、あちこちの田んぼに行きました。とったイナゴは、家に持ち帰って、お母さんに佃煮にしてもらって食べました。ですから、私はいまだに、イナゴの佃煮が好きなのです。最近は、なかなか見かけませんが、見つけた時には、買ってきて、食べるのです。

(昭和30年代・新潟県)