第78話 サーカスのゾウさん

 サーカス好きなおじいちゃんは、弘前城にサーカスが来ると、いつも私たちを連れて行ってくれました。そこには、トラもライオンもいましたが、記憶に残っているのがゾウさんの曲芸です。

 でも、ゾウさんの曲芸よりもおもしろかったのが、ゾウさんがうんちをし始めた時の出来事です。

  3頭のゾウさんが、並んで玉乗りをしていました。しばらく見ていると、その内の1頭が、玉乗りをしながら、うんちをし始めました。すると、係の人が、一輪車(手押し車)を押して出てきて、そのうんちを、受け取り始めました。と、思ったら、隣りのもう1頭もうんちをし始めて、係の人は慌てて隣りへ向かいます。でも、みるみるうちに一輪車の荷台はいっぱいになってしまって、すぐに、代わりの人が出てきましたが、けれど、なんせ、ゾウさんのうんちはものすごい量でしたので、係の人のそこいらじゅうにびちゃびちゃかかり、それでも係の人は、一輪車を持ってゾウさんを追いかけ回すのです。その様子が、とても面白くて、みんな、大笑いでした。

(昭和40年代・青森県弘前市)

第77話 桃太郎の話

 縫子をしていたおばちゃん(母の姉)は、お裁縫をしながら、「むかし、むかし、あるところに、おじいちゃんとおばあちゃんがいました…、」と桃太郎の話を、飼っていたインコの「タロウチャン」に聞かせていました。その話を覚えたタロウチャンは、鳥かごのぴかぴか光る持ち手をのぞきこみ、そこに映った自分の顔を、お友達だと勘違いして、桃太郎の話を話し出すのです。でも、なぜか、「ムカシ、ムカシ、アルトコロニ、オジイチャント…(だまりこむ)…ガ、イマシタ…、」と、必ず、「オバアチャン」を、言わずに抜かすのです。そして、機嫌のいい時だけ、単体で、「オバアチャン!オバアチャン!」と言うのです。

 おばちゃんは、タロウチャンの後に、もう一羽、「ジロウチャン」を飼いました。タロウチャンは、ジロウチャンに、桃太郎の話を話して聞かせ、ついに、ジロウチャンも、桃太郎の話をしゃべれるようになったそうです。

(昭和40年代・青森県弘前市)

第76話 馬に乗るおじいちゃん

 おじいちゃんの家は、大きなかやぶき屋根のお家で、広い庭もありました。おじいちゃんは、かつて校長先生をやっていて、馬に乗って通勤をしていました。家の土間の横には馬小屋があって、馬が3頭いたそうです。私が物心ついた頃には、馬小屋ではなく、漬物小屋になっていました。戸を開けるとすぐに柵があったので、なんで柵があるのかなと、ずっと不思議に思っていました。

 そのおじいちゃんは、私が生まれる前(昭和30年代より前)に、馬から転落して、半身不随になりました。ですから、私が覚えているおじいちゃんは横になっていて、学校で賞状などをもらうと、私は急いで見せに行き、それを見たおじいちゃんは、足もとにあった巾着袋を、孫の手でずりずりひっぱって、その中から、500円札をくれました。それが、すごくうれしかったのです。

(昭和後期・青森県弘前市)

第75話 カメとヒモ

 おばあちゃんちでは、カメを飼っていました。地元の祭りで買ってきた陸ガメで、長~いひもをつけて、外で放し飼いにされていました。

 ヒモは、5~6メートルくらいの長さで、甲羅の端っこに小さな穴をあけて針金の輪っかを付け、そこにヒモを通し、玄関の柱に結び付けていました。カメは、ヒモが届く範囲で自由に動き、ミミズなど好きなものを食べていました。遊びに来た子どもたちが、ふざけてヒモをひっぱると、カメは、ガーーッと引きずられてきて、でもまた、しばらくすると、好きなところに、行きます。

 冬が来て、カメはどこ?と思う頃には、雪が積もり、どこにいるかわからなくなります。どうやらカメは、縁の下に穴を掘って、冬眠していたようです。春になると(5月くらい)、ヒモがうにょうにょしはじめて、出てきたなとわかります。

 カメは、30~40年ほど、生きていましたが、ある日、ヒモをひっぱたら、ヒモしか出てきませんでした。なにかに食われたんじゃないか、という話になりました。

(昭和50年代・青森県弘前市)

第74話 夜の犬たち

 むかし、私の田舎では、夜になると犬を放し飼いにしていました。放された犬たちは、好きなところに行って、犬の友達と遊び、朝になると帰ってきます。朝になって見ると、広々とした、雪が積もった田んぼには、犬たちの駆け回った足あとが、いっぱいありました。

 学校帰り、雪道の中、小学生の私は、よく寄り道をしました。ブルドーザーが道路の雪をかき分けると、道路のヘリに雪が溜まり、下の田んぼへとなだらかにつながります。そこを、田んぼに向かって、ジャンプして飛び込むと、深い雪に腰くらいまで埋まったりして、楽しく遊んで帰るのです。

 当時、私の手袋は、なくさない様にと、母が毛糸でつなげてくれていたのですが、恥ずかしくて自分で切っていました。すると、雪遊びに夢中になって、雪の中に忘れて帰ってきたりするのです。それは、手袋だけじゃなく、マフラーだったりもしました。 

 うちには雑種でオスの「コロ」という犬がいました。白い毛で、胴が長く、赤い鼻をしていました。そのコロが、朝になると、私が忘れた手袋やマフラーを、玄関の前に、置いておいてくれるのです。それは、他人のものではなく、必ず私のものでした。コロは、「またうちのアホが、」と、思いながら、きっと、拾ってきていたのでしょう。

(昭和40年代・青森県弘前市)

第73話 動物が苦手なのは

あれは、幼稚園か、6~7才の、まだちっちゃかった頃、だからそんなことしてしまって…。家の近くに、唯一犬を飼っている家があって、その犬に会いに、幼なじみと二人で行きました。それは寒い季節で、犬小屋の前にいる犬を見て、私は、「犬もさぞかし寒いだろうなあ。」と思って、犬の背中に、自分が着ていた手編みのニットのチョッキを、フワーンとかけたんです。すると、犬が、前足をあげて、ワァーン!と、びっくりして立ち上がり、吠えたのです。私たちは、ニットはそのまま、落ちたまま、逃げました。多分、その後、親が取りに行ったと思います。それで、それが怖すぎて、犬がダメになりました。

しばらくたってから、ハッと気がついた瞬間がありました。今のだんなさんと、「犬とどう接したらいいかわからない。温かくしてあげたのになぜ…」と話していた時、ハッと。「あの時、犬の背中には静電気が起きていたのかもしれない…。静電気で、ビリっとしたんじゃないか!」私は、腑に落ちました。

でも、今も、わからないまま。私は、犬との接し方を、見失ったままです。

(昭和50年代・岩手県沿岸の小さな町)

第72話 ヘビを殺した話

小学生の頃、僕は友達と、ぶらぶらと、田んぼの方へよく行った。そこでヘビを見つけると、僕らは、素手で捕まえた。いかに早く捕まえるか、そこがカッコいいので、皆、競うようにして捕まえた。

ある時、そのヘビを公園まで連れてきて、砂場に放し、様子を見ていた。田んぼに住んでいるヘビが、人工の場所ではどう目に映るのだろう、と思ったのだ。ヘビは、どんどん弱っていったが、それでも、僕の右手の薬指を、噛んできた。その噛む力は弱かったが、僕は無性に腹が立って、ヘビをはねのけ、焼却炉で燃やした。

それで僕は、ヘビに呪われた。その頃から、突然、ヘビの夢を見るようになったのだ。大量の恐ろしいヘビの中を、僕は、歩いて行かなくてはならない夢だ。目が覚めると、僕は、「申し訳なかった」と何度も謝ったが、その夢は、30才頃まで、何十年も続いた。今は、もう見ない。ヘビには、かわいそうなことをしたと思う。噛まれた指の傷跡は今でも、ほらここに、残っている。

(昭和50年代・愛知県)

第71話 土手の鯉

 家のわきを流れる川には、鯉が泳いでいる。ある時、自分の子と近所の子たちに、「母の日だから、いいとこ連れて行ってあげる。」と言われて、土手に連れていかれた。すると、そこには、穴が掘ってあって、鯉がピッタンパッタンしている。どうやら、池をみたてて穴を掘り水を張って鯉を泳がせたようなのだが、土は水を吸い込み、このような姿になってしまったらしい。私は、「かわいそうだから。」と言うのだが、子どもらは「だいじょぶだから。」と言う。やはり、翌日、死んでしまっているのだが。

(昭和50~60年代・埼玉県)

第70話 父と魚

 父は、よく夜釣りに行った。そして、朝、帰ってくると、「さかなとってきたぞー!」「くってかんかー!」「かえってきたときはなかぞー!」と言って、その時は、冷蔵庫などないものだから、父は、魚の皮をはいで、骨をひゅっととって、刺身にしてくれた。私たちは、ランドセルをしょったまま、それを、食べる。小さなキラキラしたお魚だった。

 私が子どものころ、餃子といえば、肉より魚だった。魚(イワシとか)のミンチと白菜を具にして、メリケン粉をのばしたものを、お椀で型取り、皮にする。「今日は、餃子ばーい!」と、声がかかり、子どもたちはテーブルに並ばされて、餃子を包む。火の当番は、父だ。大きなお釜にお湯を沸かして、水餃子にする。

 父に釣りに連れて行ってもらったことはない。魚は、いつもみやげとしてあるだけだったが、子どもにとっては、楽しかったしおいしかった。父は、その後、母と島に移り住み、70才で小さな船を買い、あいかわらず、釣りに行っていた。

(昭和20年~30年代・佐賀県)

第69話 一升びんのヘビ

 私の父は、頭にランプをつけ、銛を持って、よく夜釣りに行った。大抵は、魚やカニや海老、貝などを、食べるために獲ってくるのだが、まれに、ヘビを獲りに行くときもあった。つかまえてきたヘビは、火ばさみで、あたまをパチンと挟んで、一升びんに、頭から突っ込んで入れる。一升びんには、お酒が入っているから、苦しいヘビは、びんの首あたりの、空気のあるところに、あたまを出す。そのびんは、流しの下に置いてあって、ヘビは出てきやしないのだけど、怖かった。一升びんのヘビは、薬として、売られる。

(昭和20年代・佐賀県)